
GALA湯沢
アイデアと行動力が切り拓いた、
新幹線直結のゲレンデ。
関連事業
- 輸送サービス
- 生活サービス
- IT・Suicaサービス
関連職種
総合職
- 鉄道事業・生活サービス事業・Suica事業に関わるビジネス戦略
- 輸送・車両
- 機械設備
- 土木
- 建築
- 列車制御システム・エネルギー・情報通信
- IT・デジタル戦略
地域総合職
- 駅・乗務員
- 車両
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- 土木
- 建築
- 列車制御システム・エネルギー・情報通信
ジョブ型
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「特別」が、もっと身近に。

東京から最速約71分、手ぶらで行けるスキー場。
英語で「祝祭」を意味する「GALA」。JR東日本グループが運営するスキー場「GALA湯沢」は、その名の通り日常にハレをもたらすようなレジャー施設として、1990年に開業しました。特筆すべきは東京から新幹線で最速約71分という身近さと、充実したレンタルサービスによる身軽さです。ガーラ湯沢駅到着後、ウェアと道具をレンタルすればすぐに滑り出せることが大きな魅力と言えます。
レンタルサービスでは必要なアイテムを一式借りられることはもちろん、WEB申し込みやGALA湯沢スキー場カワバンガ(センターハウス・新幹線駅舎)3階に完備されたPICK UP BOXを利用すると、BOXにご希望のレンタル用品が用意され、待ち時間ゼロでウェア類をご利用いただけるサービスです。 を利用することで混雑を避けられ、スムーズに出かけることができます。またスキー場は上越新幹線「ガーラ湯沢駅」から直結と利便性も高く、コースは初心者から上級者向けまでの全16コースで、自分に合った楽しみ方を選べます。その他、温泉施設「SPAガーラの湯」やアウトドアサウナ、ゆきあそびパークにスノーモービルそりツアーなど、多様なアクティビティが充実。スキー・スノーボードが楽しめるのは雪が残る5月のゴールデンウィークまでですが、以降は夏営業「サマーパーク」や秋の紅葉をお楽しみいただく観光営業を展開します。
またGALA湯沢は「JR SKISKI」キャンペーンを通じて、長年にわたり多くの人々に愛されてきました。「JR SKISKI」といえば、スキー・スノーボードの楽しさや冬の特別な思い出を描き出した広告。代表的なもののひとつとして、2013-2014シーズンのキャッチコピー「ぜんぶ雪のせいだ。」などがあります。
標高が高くきめ細やかな粉雪が舞う雪景色は、訪れる人々の心を非日常へと連れ出します。新幹線という高速鉄道が、「特別な冬」をさらに身近な存在へと変化させました。


いつの時代も情熱とともに。

スキー愛好者たちから生まれた構想。
GALA湯沢の構想が生まれたのは1980年代後半、国鉄が民営化を控えていた時期でした。当時の国鉄には社員による提案制度があり、それを活用して「新幹線直結のスキー場を作り、会社の収益向上に貢献しよう」というアイデアが提案されたのです。提案者は、新幹線と在来線の保線区に勤務する7名のスキー愛好者たち。全員が全日本スキー連盟の1級以上の資格を持つほどの実力者で、スキーをこよなく愛していた彼らの熱意が、このプロジェクトの原動力となりました。
当時はいわゆる「スキーバブル」の時代です。越後湯沢駅周辺や石打丸山スキー場には多くのスキーヤーが訪れ、新幹線の開業も相まって、スキー市場は活況を呈していました。そんな時代背景から会社に提案が受け入れられ、新幹線の保守基地を活用し、標高の高い湯沢町の山々でスキー場を開発する構想が具体化していったのです。
自らの足で、道をひたすら切り拓く。
プロジェクトが本格化すると、開発に向けた現地調査が始まりました。当時はパソコンの普及も乏しく、資料作成はほぼ手書き。地形調査も自ら行わなければならず、メンバーはスキーや和かんじきを履いて山を登り、コースの可能性を探りました。また、風向や気温を調査するために百葉箱を設置したデータ収集も実施。地形を生かした魅力的なスキー場をつくり、多くのお客さまに楽しんでいただくため、日々地道な作業を積み重ねていきました。
もうひとつの課題として、地域との関係構築があります。地域の旅館やホテル関係者の中には「スキー場ができることでお客さまが奪われるのではないか」と懸念する声もあり、湯沢町の議会や関係者と丁寧な対話を重ね、理解を得る努力を続けていきました。
提案から実際のスキー場完成までは、3年10カ月。許認可手続きや地元との調整のため、メンバーはほぼ毎日のように湯沢町へ通い続けていました。まさに自分たちの足で道を切り拓くような日々だったと言えます。

GALA湯沢の誕生と、現在。
1990年、ついにGALA湯沢が開業。新幹線で東京から1時間強という利便性、スキー場と直結した駅という画期的なスタイルが当時話題を呼びました。また手ぶらで楽しめるコンセプトとともに充実したレンタル設備が評価され、多くの利用者が訪れるようになり、現在へと至ります。
開業当初からの「手ぶらで行けるスキー場」というコンセプトは変わっていませんが、近年ではウィンタースポーツ人口の減少や温暖化の影響を受け、新たなビジネスモデルが求められています。特に、インバウンド需要の拡大が進んでおり、タイや台湾をはじめとする海外からの観光客が増加。スキー目的だけでなく、雪景色を楽しむために訪れる人も増えつつあります。また、四季を通じて楽しめる通年型リゾートを目指し、夏シーズンでのさまざまなアクティビティ営業や紅葉シーズンのロープウェイ営業などを推進中。特にロープウェイ営業では地域と連携し、湯沢高原とGALA湯沢のロープウェイを接続させてもらうことで、秋の風情を存分に楽しめるようになりました。これもまた、社員の発想が発端となって始まった取り組みのひとつです。
GALA湯沢は、その始まりから現在に至るまで、社員の主体性によって築かれてきたプロジェクトと言えるかもしれません。ウィンタースポーツや観光を取り巻く状況が変化していく中で、時代に寄り添うための発想が、今日もまた生まれています。

ゴールは
「魅力的な目的地」。

雪山が生み出す、「交流人口」と「関係人口」。
新幹線を活用した観光地として、湯沢町における地域活性化の役割を担ってきたGALA湯沢。その目標は、「交流人口」と「関係人口」の創出です。交流人口とは、観光やビジネスで一時的に地域を訪れる人々のことを指し、関係人口とは、観光以上に深く地域に関わり、持続的な関係を築く人々を指します。GALA湯沢では、冬シーズンに留まらず、年間を通じて地域とつながる機会を提供することで、こうした人口を増やすことを目標に掲げています。
GALA湯沢は今後も新幹線直結という強みを活かしながら、地域と連携し、「魅力的な目的地」となることを目指します。ウィンタースポーツと観光を取り巻く環境が目まぐるしく変化する昨今、持続可能な観光地としての模索は続いてゆきます。
